春になれば(定期)

気づけばもう年は明けており、なんなら年が明けてから1ヶ月も経ってしまっている。明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。この日記を書くのも半年ぶりくらいになる。その半年間何もなかったかと言われればそんなことはないのだが、自分が何も感じなくなってしまったのか、それとも何かにアウトプットすることができなくなったのか、はたまた両方なのか。悲しい限りである。

寒さも一段と厳しくなり、何をしようとしても腰が重くなる。冬は自分にとって長く暗いトンネルのようで陽が出ている時間が短くて、思い出す記憶のほとんどが日中ではなく、日が暮れてからのものが多い気がする。そんな中でいつも「早く春にならないかな」と思う。春になれば暖かくなり、桜も咲いて何もなくても外に出てみようかという気持ちになる。なぜこんなにも春が好きなのをのかを考えた時に思い浮かぶ理由であったかいからとか桜が咲いてお花見ができるからとか大きな理由はそんな浅いことになるが、1番はふわっとしていて短いからなのかもしれない。「ふわっとしている」という理由自体がふわっとしているが、他の季節で言うと夏は外に出ても暑くてなんだか慌ただしく、部屋でぼーっとしていても永遠と聞こえる空調や扇風機の音に責め立てられている気になる。秋から冬にかけてはだんだんと寒くなり、さっきまでの騒々しさと打って変わりぽっかりと何かが抜け落ちたような寂しいきもちになる。楽しかった飲み会の後に終電の人が少ない電車に乗って1人で帰るあの感じに似ている。

でも、春はこれからから来るそれらの季節までのボーナスタイムみたいなもので、急かされるような騒々しさも急に来る寂しさもなくぼーっと時間がゆっくり流れていくあの感じが良い。そんな時間が永遠と続くこともなく桜が散ればだんだんと暑くなって夏に近づいていくあの短さもまた良さでもある。終わりがあるからこその美しさがあるとかの有名な炎柱も言っていた。実際春が終わる頃は目から大粒の涙を流しながら床をどつき「俺に力があれば、、、」となっているが。頑張れおれ、心を燃やせ。

 

そんな感じでまた春大好きおじさんが1人でゴニョゴニョ言っている。ここまで来ると町や商店街に1人はいる新しくできたイオンを見て昔たっていた建物の話を通りすがりの人に2.30分話す悪気はないけどなんとも言えないおじさんと同じだ。

そんな春大好きおじさんはほっといて早くお花見しよや!

ブルーシート持ってきてな!あとフリスビー!俺ビール買って行くからいるもんあったらいうて!

ほないつもの公園の桜の木の下集合で!

 

 

風と共に去りぬ/踊ってばかりの国